「絵を描くことと語学学習は似ている」
そんな感じのことを、B.エドワーズは著書「内なる画家の眼」の中で述べています。
「絵画と言語の学習が似ているなんて、突拍子もない!」
もしかしたら、そう感じるかもしれませんが、
実は、私自身も、その意見には賛成です。
見ているようで見ていない
子供たちを見ていて思うのは、
単語にしろ、英文にしろ、見ているようで見ていない・・・ということです。
これは、絵を描く対象物は目の前にあるのに、
見ているようで見ていない・・・のに似ています。
見るスキルを育てる
だから、英語学習において、
いろんなドリル練習を行うことも大事でしょうが、
それと同時に、見るスキルも育てるべきだと思います。
見るというのは、どういうことか?
では、
見るというのは、どういうことなのでしょうか?
それは、全体の中で、それぞれの関係性を知る・・・ということに他なりません。
実際、自分には絵心がない!と信じている人の多くが、
絵を描く時、描きたい対象物を必死に描こうとして失敗しています。
でも、対象物そのものではなく、対象物の外の「スペース」に目を向けただけで、
絵は飛躍的に良くなります。
これは、魔法でもなんでもありません。
スペースを見ることで、先入観が消え、見たままに描けた結果です。
事実、先入観とは恐ろしいものです。
「これは、眼鏡だ」
そう思った時点で、
私たちは「今、目の前にある物」ではなく、
「脳にインプットされている眼鏡のイメージ(先入観)」に支配されてしまいます。
英語学習においてのパターン練習
同じことが、英語学習においても言えます。
英語学習では、単元ごとに学ぶ文法が決まっており、
- 今日は、現在進行形を学ぶ。
- 今日は、三単現を学ぶ。
という具合に決まっています。
そのため、
多くの中学生が、その時のドリル練習(つまり、パターン練習)は、
簡単にやってのけます。
そして、それを暗記できるか?どうか?
それによって、テストの点数が決まってきます。
ですが、英語学習において、もっとも大事なのは、
全体の中での単語同士の関係性です。
この関係性に気づかず、単なるパターン練習だけに終わっているからこそ、
私たち日本人は英語が苦手なのです。
見えてくるまで待つ
- 絵を描くこと
- 英語を本当に学習すること
どちらにも、必要なのは、忍耐力です。
正直、パッと見た限りでは、何も見えてはきません。
特に、今のように情報社会の中では、スピードこそ命。
だからこそ、ゆっくり時間をかけることは、誰もが苦手です。
しかも、何も見えてこない間、私たちは、いつも、不安になります。
だからこそ、パッパッと答えを出したくなる。
でも。
それを止めない限り、私たちは絵も英語学習も、ともに伸び悩むのです。
まとめ
絵を描くことは、絵を描く以上のものがある。
そう、コリタ・ケントは言っていましたが、(勝手な私の意訳です)
本当にそうだと思います。
事実、写実的な絵が描けるようになるということよりも、
今まで自分には見えなかったものが見えるようになる!
というのは、
英語学習だけでなく、何事においても、楽しいことです。
なぜなら、新しいものの見方が手に入れば、
それだけ、自分の可能性は大きく広がっていくからです。